僕の生い立ち①
糟谷祐子
2023年03月01日
2023.3.1
皆さま こんにちは!
少しづつ気候も暖かくなり、春が近いな、
と思う今日この頃です。
うちの娘二人も、今年揃って高校・大学
受験がはじまる春になろうとしています。
↑ 四条河原町
さて、僕は京都の大学を卒業後
「日本ブリタニカ」に入社しました。
当時は47都道府県で英会話スクール運営事業を
していた業界準大手企業でした(今は学校教育事業が主体)
僕は、京都の四条河原町通の京都営業所で社会人生活の
第一歩を踏み出したのです。
京都はいわゆる、僕の第二の故郷なので、今でも
毎年1‐2回は何の気なしに訪れたくなる場所です。
学生当時、右も左もわからないまま、
麻雀とパチンコに明け暮れた、おばか学生な上、
団塊ジュニアで受験も就職も
凄い倍率でしたので、苦労を強いられた
自業自得の就職だったな、と今は思います。
求人を打ち続けるブラック色豊かな会社でw、
毎週20名近く入ってきては、厳しい研修を受け、
3ヶ月目には2割、1年後には100人のうち1人残るか
どうか、という会社で、まさにサバイバルでした。
研修が終わると、みんなと同じようにテレアポ。
電話を掛けられまくったメモだらけの学生名簿を
片手に、受話器をガムテープで縛られ、
エンドユーザーさんとプレゼンする時間以外は
テレアポ、たまに飛込。
ざっくり計算してみたら、7年でテレアポ300万件
以上こなしたことになります。
そういう経験をすると、こうなります(笑)
イケイケドンドンな昭和のたたき上げ営業全盛期で、
ブリタニカも同じく、朝8:30‐23:30まで年間355日、
盆と正月以外休みなく働いていました。
↑ 社内には売上グラフ!昭和の皆様、垂涎ですねw
会社は、とにかく売上マシーンにするべく、朝礼
というかマインドコントロールと、売上競争の
煽りを日々受けていたわけであります(^^;
それでも両親の教育なのか、とてもポジティブなので
楽しかった(何でも楽しさを取り入れようと創意工夫
した)ですし、
辞めようと思ったことはありませんでした。
2週間の研修の後、いよいよ新人戦。
3か月後の新人賞をもらおうと、鼻息荒く
意気込む僕なのです。
(つづく)